私的な空間をより大きく持ちたい by 米津玄師
From 米津玄師「LADY」インタビュー|“変わり映えしない日々の倦怠感”を軽やかに歌にして by 米津玄師さん
近年は、私的な空間がどんどんなくなってきていると思うんです。社会の中でSNSというものの存在がどんどん大きくなっていって。例えば自分みたいな立場であれば、街を歩いていると写真を撮られて、それがSNSに上がって、公的なものになってしまう。私的であるということが非常に難しい状況になってきている。
なんでしょうね。最近、自分のSNSアカウントを運営するのが、もう本当に飽き飽きなんですよね。それはさっき言ったこととつながるかもしれないですけど、公的な目に晒されてしまうわけで。倫理的にどうか、この場においてふさわしいのか、公的な目でそれを判断してしまう。そういうのは非常に窮屈だなと。自分はそもそもインターネットから出てきた人間だし、10年前はそういうコミュニティがめちゃくちゃ楽しくて、公園の砂場みたいな感じで遊んでいたんですけど。まあ、10年も経てばいろいろ変わっていくわけで。そういう“砂場”は自分のインターネットの中にはなくなってしまった。そういう気持ちから出てきましたね。
米津玄師さんもこういうことを思っていて、インタビューで語ったりもするんだなあ。
自分にとっては、日記や週刊少年オオワダやオオワダ発声練習や Discord Personal Server が、わりと私的な空間っぽくなっている気がする。あとはまあ、家庭か。ぼくに対して一定以上の興味を持って接してくれている人々に向けて近況を発信できればそれでいい、というのは私信っぽいよね。誰でもアクセスできるようにしてはいるけれど、不特定多数に届けるつもりがない。黒暗森林。
思い切り主観を込めた「私」を大事にしたい時期を過ごしている。私信、私事、私記、私営、私恩、私小説。
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